みなさん、こんにちは。
時雨です。
久しぶりのブログ更新となります。このたび、視聴者さんからの情報を頼りに東京の東村山に行ってきました。みなさまは東村山に行ったことがありますか?
東村山について

東京都の多摩地域北部にある市。人口は約15万人である。高田馬場駅まで西武新宿線で最短21分という地の利から、ベッドタウンとして開発が進められた。都営住宅や団地、官公庁住宅の整備が行われ、現在の市の姿となる。
コメディアンの志村けんさんの出身地で有名ですね。神社参拝へ行った時、駅前にも立ち寄ったのですが、志村けんさんの銅像がありました。地元では有名なのか、写真を撮っている人が多かったですね。ちなみに志村けんさんは名誉市民だそうです(凄い)。

東村山は知る人ぞ知る、蕎麦・うどんが美味しい地域なようです。手打ちうどん屋さんにふらりと入ったのですが、これがまた絶品でした。

※写真は「純手打ちうどん ますや」の肉汁うどん。生地がもちもち、ほんのり甘味があって美味でした。都心からちょっと行くだけで、うどんのクオリティがここまであがるとは、東村山は侮れないですね。
話を戻します。視聴者さんからの情報は次の通りでした。
「東村山の神社に伊勢神宮の祠がひっそりとあります。初めて見た時はびっくりしました」
伊勢神宮の祠が東村山にある?
初耳です。一般的に伊勢神宮の分社は、東京でしたら東京大神宮、神奈川でしたら伊勢山皇大神宮など、伊勢信仰の神社は立派な印象を受けます。それが神社の境内にひっそりと佇んでいるなんて珍しいですね。
祠ではないですが、三峰神社の本殿横。摂社・末社が並んでいるエリアで伊勢神宮の小さなお社を見たことがあります。
視聴者さんの情報を頼りに目的の神社へ向かいました。その神社の名前は久米川熊野神社と言います。
久米川熊野神社について


東村山駅から徒歩約20分ほど、閑静な住宅街に佇んでいる神社です。その名の通り熊野神社の分社となります。
【久米川熊野神社 由緒】
創建年代は不詳。元弘年間(1331-1334)久米川の合戦の時に新田義貞が後詰を置いた所といい、久米川村の鎮守として崇敬を集めた。明治4年村社に列格、本殿新築の際に栖川熾仁親王より直蹟二軸を拝領したといわれる。
【ご祭神】

伊邪那岐神、伊邪那美神、天照大神
【境内社】

稲荷神社、伊勢神宮、御嶽社、神明宮
案内板を頼りに、道なりに進むと、摂社・末社が祀られているエリアがありました。

【稲荷神社】

【神明宮】

【伊勢神宮】

目的の伊勢神宮です。
案内板には「天照大御神をお祀りする」と記載されています。他の石祠よりも立派ですね。
久米川熊野神社に参拝に来て思ったことがひとつ。
久米川熊野神社のご祭神は、先に伝えたように、伊邪那岐神、伊邪那美神、天照大神です。神明宮の祠は天照大神がご祭神。伊勢神宮もまた天照大神がご祭神となります。ひとつの神社に三体の天照大神が祀られているということ。
創建に関わった人が熱心な天照大神の信者だったのかもしれません。
もうひとつ解釈できるのが、こちらが熊野神社という部分にヒントが。
久米川熊野神社の創建は不明ですが、こちらは元弘年間(1331-1334)の久米川の合戦の時に新田義貞が後詰を置いた所のようです。つまり、江戸時代には既にこちらの神社が存在していた可能性が非常に高いと。
皆さまもご存じだと思うのですが、「東海道中膝栗毛」という弥次さん喜多さんの珍道中を描いた旅物語が江戸時代に大ブームとなりました。

そこの物語には「伊勢へ七度、熊野へ三度(いせへななたび、くまのへさんど)」という句が登場します。これは伊勢神宮へ7回、熊野三山(熊野本宮大社・速玉大社・那智大社)へ3回参拝する、ほどの熱心な信仰、それだけ参っても信仰に限りがないことの例えです。
江戸時代は伊勢神宮、稲荷神社、三峰神社、熊野神社に参拝することはブームになっていたようです。
ここの熊野神社の境内に伊勢神宮があるのは、偶然ではないと思いました。この神社の創建に関わった人が熊野神社と伊勢神宮を一度にお参りできるようにしたのか、天照大神に熱心な信仰を持つ方だったのか、謎は深まるばかりです。
動画で詳しくお話しています。
動画はこちら↓↓
久米川熊野神社
〒189-0003 東京都東村山市久米川町5丁目13−1
西武新宿線 東村山駅より徒歩約20分