今回は名犬や犬の逸話が残った「犬塚」に行った時の内容です。東京・両国の回向院に「犬塚」があるということで向かいました。両国と言えば、国技館があったり、江戸情緒の残る観光地のひとつ。
どんな逸話がある「犬塚」に出会えるのでしょうか?
回向院について
回向院は、1,657年に開かれた、東京都墨田区両国二丁目にある浄土宗の寺院。

この年、江戸では「振袖火事」の名で知られる明暦の大火がありました。これにより市街の6割以上が焼土して、10万人以上の人名が奪われたという記録が残っているそうです。
この災害によって亡くなった人々の多くは、身元や身寄りのわからない人達。当時の当時の将軍徳川家綱は、「無縁の人々の亡骸を手厚く葬るように」と、隅田川の東岸に回向院の元となる土地を与え、「万人塚」という墳墓を設けたそうです。
明暦の大火で起こった焼土。この出来事から、回向院では宗派、人、動物問わず、すべての生あるものを供養するという理念を持つようになりました。軍用犬、軍馬の慰霊碑や小鳥、犬猫供養塔など、さまざまな動物の慰霊碑、供養碑、ペットの墓があります。



宗派を問わず受け入れる墓は多いですが、動物も問わないというのは良いですね。私は犬を血が繋がっている家族同然という家庭で育ちましたから、回向院の理念には大変共感しました。人、動物問わず、一緒に眠ることができるお墓がどんどん増えるといいですね。
回向院の犬塚について
回向院の犬塚には、江戸の火消し「は組の新吉」の犬が眠っています。


江戸の町は火事がとても多く、火を鎮静させるために多くの火消し達が存在していました。グループのひとつである「は組の新吉」は、当時では珍しい洋犬ハチを飼っていたそう。新吉はハチを大変可愛がり、亡くなった後に回向院に犬の墓を作り、手厚く葬ったそうです。
「は組」の新吉と呼ばれる火消はハチ(八)という洋犬(唐犬)を飼っていました。新吉はハチを可愛がり、亡くなった後、東京都墨田区両国の回向(えこう)院に犬の墓をつくり、手厚く葬りました。
今の時代でこそ、ワンちゃんの墓を作るのは当然ですが、江戸時代は飼われていない犬が町をうろうろと歩いていた時代であり、ワンちゃんの墓を作ること自体が珍しかったそうです。
そんな中では組の新吉がハチの墓を作ったのは、「愛情」以外の理由がありません。もしかしたら、火消しの場面でハチが近くで「わんわん!」と吠えて新吉を応援していたのかもしれないですね。
犬塚だけでなく猫塚も
は組の新吉の犬塚だけでなく境内には「猫塚」もありました。
※写真はありません。
猫塚のいわれ
猫をかわいがっていた魚屋が病気で商売ができなくなりました。商売ができないと生活に困るのは当然のこと。するとある日、猫が小判を二枚くわえて魚屋の方にやってきました。魚屋は大いに助かったのです。
しかし、その後のこと。ネコの姿が突然見えなくなりました。近くの店でその話をすると、猫が小判をくわえて逃げようとしたので、殴り殺してしまったとのこと。それが自分の飼い猫だったことを知った魚屋は、主人に事情を話し、回向院に葬ったという話です。
この話は「猫の恩返し」という落語にもなっているそうです。
動画でもお話しています。
動画はこちら↓↓
回向院へのアクセス
東京都墨田区両国 2-8-10
JR総武線両国駅西口より徒歩約3分
地下鉄大江戸線両国駅より徒歩約10分

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