飛鳥新社より発売されている『神様がいる神社 いない神社』について。
賛否両論があるようなので、私の見解をお話します。前提として、筆者の私が「神様がいない神社」を批判するつもりはないことが挙げられます。

書籍には、「神様と繋がる方法について」「神様のサインについて」「欲で神社を選ばない方がいい」ということなどが書かれています。
表面上で神社には神様が祀られているが、何らかの理由で離れてしまっている神社があるという話です。日本全国で神社の数は約8万社以上あると言われています。山の中の荒れ果てた神社も含めて。
人はなぜ荒れ果てたり、崩壊しかけた神社を怖いと思うのでしょうか。同じ神社なら、そこで恋愛や金銭の願掛けをしても良いですよね。なぜ、ピカピカの神社、立派な神社、人気の神社でばかり願掛けをしようとするのでしょうか。
神社がどこも同じなのでしたら、近所の無人神社、地味な神社で参拝するのも良いのではないでしょうか。全ての神社に神様がいるのでしたら、どこで参拝しても同じなはずです。
「なんかこの神社薄暗くて、怖いな」
「この神社好きだな。また行きたい」
書籍では、そんな感覚の良し悪しを言語化しています。
書籍では、「神様がいない神社は変なものが憑りついている場合もある」と伝えていますが、多くは山の中にあるような荒れ果てた神社です。あなたが普段行っている街の神社に変なものが憑りついている可能性は極めて低いです。購買を促している訳ではありませんが、読んでみると意味がわかると思います。
書籍は私の経験が前提に話が進みますが、私は自身の霊障を解決するという課題を負っていました。
他の人にとっては「そんなことあるかいな」という話が、私にとっては大真面目な話だったという訳です。
定期的に落ち武者のようなおかっぱの男性が現れたり、自宅で狐火を見せられたり、ラップ音が聞こえたり、そんな日常生活を解決するために、山伏さんから「神仏を味方につけなさい」というアドバイスをいただきました。
全ての神社には神様が祀られているのはご存じの通りだと思います。
いざ参拝したが、何も変わらなかった。しかし、違う神社に参拝したら変化があったのです。「神社ならどこでもいいだろう」という考えが、そうではなかったということになります。
全ての神社に神様がいるのなら、最初に参拝した神社で、霊的現象が解決してもおかしくない。という私個人の経験から書籍に繋がりました。
この話は一種のタブーにあてはまるのだと思います。「何言っているんだ」と笑っても良いですし、エンターテイメントと捉えてもらっても良いです。ただ、批判するつもりはないということはわかってください。私は神社が好きですし、神社に助けられた人間ですので。
そもそも祈りは神様と通じる行為であると同時に、私達自身の精神を見つめなおしたり、自分自身の精神と繋がる行為でもあります。例え、神様がいない神社であっても意味がないことはありません。
普段からお世話をしている神社に神様がいなかったらどうするんだ問題について
お金持ちになりたい、恋人が欲しいなど、欲にまみれて神社を選んでいないので、既に神様がいる神社に導かれています。損得勘定無しで、お世話をしたい、祭に参加している、地域を活性化しようとしていることがヒントです。
あなた個人の見解じゃないかという意見について
その通りです。エクセルのデータなどを集めて提出することができません。どうやって証明すればいいのでしょうか。私個人の見解という点を踏まえて、内容を参考にしていただければ幸いです。
『神様がいる神社 いない神社』
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