「秩父の三峰神社を信仰しているけど、簡単に行ける距離ではない。アクセスが良い分社はないのかな?」

自宅に神札を祀っているからこそ、定期的に崇敬神社に参拝にいきたい訳です。
こんな方におすすめできるのが、川越雪塚稲荷神社の境内にある三峰神社の分社です。分社とは本宮から御霊を分けた神社や、神札を祀った社などのことを言います。
会社で言えば親会社が本宮で分社は子会社のようなもの。
埼玉県の秩父にある三峰神社は狼信仰の霊験あらたかな場所。関東最強パワースポットと呼ばれ、開運、厄除け、火伏、盗賊除け、縁結びなどあらゆるご利益がある神社です。


雪塚稲荷神社について
雪塚稲荷神社は川越にある神社です。川越は小江戸と呼ばれている場所。もともとは江戸まで続く新河岸川を使い、舟で米や野菜などの食料を運ぶ重要な場所として栄えました。


当時の情景が色濃く残っている蔵の街エリアに、雪塚稲荷神社はあります。

川越の長喜院という寺院の隣に雪塚稲荷神社の入り口があります。
ご祭神:雪塚稲荷大明神

雪塚稲荷神社の由緒はちょっと変わっています。
雪塚稲荷神社の歴史
当社は城下町川越の十ヶ町の一つ、南町の氏神として崇拝されてきた。南町は、江戸から明治にかけて60軒あまりの町であったが、江戸店を構える大商人を多く生み出し、明治11年(1878年)には県下初の国立銀行を開業させるなど、十ヶ町の中でも中心的な商業地であった。
神社の創始は、口碑に、「江戸の昔、ある大雪の夜、南町の通りに一匹の白狐が迷いあらわれた。これを見た若い衆数人が白狐を追い回してついに打ち殺し、挙句の果てにその肉を食したところたちまち熱病にかかり、さらに毎夜大きな火の玉が街に現れるようになった。町内の者はこれを白狐の祟りだとして恐れおののき、近くの長喜院の境内に社をたて、白狐の皮と骨を埋めて塚を築き、雪の日のできごとであったことにちなんで、雪塚稲荷神社と名付けて奉斎した」という。
明治26年の川越大火によって本殿、拝殿焼失、同30年4月28日に再営した。その際土中のご神体を改めたところ、白狐の毛が逆立つのを認め驚いて再び埋納したという。
また、昭和55年社殿の修理中、床下中央部から石板が発見され、「雪塚稲荷神社遺躰文政6年2月12日御霊昇天、同年3月12日御霊祭日と定め同年同日雪塚稲荷神社と称す」との銘文があった。
文政6年(1813年)以来、とくに商売繁盛に霊験あらたかさをもって知られ、町内のみならず、遠隔地の講中や近隣末社の人々の不断の信仰に支えられてきた神社である。
要約すると、江戸時代に雪塚稲荷神社の境内に白い狐が迷いこんでしまい、若者が殺して食べてしまったのです。その若者は熱病にかかり、毎番大きな人魂が川越の街に出るようになりました。街の人は白狐の祟りと信じ、長喜院の境内に社を建て、白狐の皮と骨を埋めて塚を築きました。それが雪の降る日だったので、雪塚稲荷神社と名付けたそうです。
この由緒は白狐伝説と言われていますが、後に事実だと判明したそうです。

三峰神社に行くからといって、雪塚稲荷大明神に挨拶をしないのは失礼にあたります。きちんとお参りをしてから、三峰社へ向かいましょう。
こちらが三峰社です。

【ご祭神】
- 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
- 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
ここの三峰神社は見た目以上のお力があります。

特に憑き物落としの力が強く、私は何か肩が重くなったり、精神面が不調になったりすると、迷わずここへ向かいます。霊障体質の方、HSP気質の方におすすめできる場所ですね。私が参拝に行くと、毎回両手が熱くなる、両足が震えます。
参拝した後は気分がスッキリします。のしかかっていたものがとれる、と言いますか。三峰神社を信仰している方のほうが、よりこのお社のお力を感じられると思います。
お賽銭を入れる所がないのと、社務所などもないので、神札、御守りもお受けできません。
動画はこちら↓↓
アクセス
〒350-0063 埼玉県川越市幸町5-8
東武東上線川越駅より約24分
西武新宿線本川越駅より約14分
各駅より蔵の街から長喜院を目指してください。門の隣に雪塚稲荷神社があります。