私のブログではよく埼玉県の川越の話が出てくると思います。
川越は自宅からアクセスが良いのと、お力がある神社が多いので、定期的に行きます。何か仕事で煮詰まった時とか、アイディアが欲しい時とか、昔ながらの街並みをぶらぶらして、散歩をする時もありますね。
今回はそんな川越に鎮座しいている火除稲荷神社の話です。書籍『神様がいる神社 いない神社』で、この神社のことに触れたのですが、私が体験した不思議な話とあわせてお伝えします。

火除稲荷神社について
東武東上線川越駅構内には、観光案内所があります。火除稲荷神社は無料で配られる地図には書いてあるのですが、まず道を尋ねられない神社です。
テレビや雑誌でひっぱりだこのように、川越は埼玉屈指の観光地。近くにある川越熊野神社は銭洗い弁天や運試しの輪投げ、ガラス玉に手を触れると、八咫烏様から一言いただけるむすひの庭などがありますが、今回お伝えする火除稲荷神社は、観光客が訪れるような所ではありません。
同神社には10年以上、足を運んでいますが、地元のご老人らしき人が参拝するのを見かけるくらいです。
境内は狭く、見どころは特にありません。古いお社の前に、古い絵馬がかけられています。手水は枯れており水は出ていません。どことなく、影を感じる稲荷神社でもあります。




火除稲荷神社の由緒について
創建は不明。明治初期にはすでにあったという話があり、明治23年の川越大火の時、ここで火が止まったことでも知られている。熊野神社から分祠。正式には正一位火除稲荷大明神と言う。
全国にある火除系の神社は、戦争の爆弾が当たらなかったり、大火事を回避したり、何か神がかり的なことが起こって、信仰され続けることが多いです。こちらの稲荷神社は川越大火の時に、火が止まったことで知られているようです。

川越大火について
川越大火(かわごえたいか)とは、1893年(明治26年)3月17日20時15分頃に埼玉県入間郡川越町(現・川越市)で発生した大火である。
旧城下の養寿院門前から火災発生の一報で半鐘が鳴り、町の消防22組が総出で消火作業に当たったが、北からの強風・連日の晴天続きによる空気の乾燥・消火用井戸水の使い果たしなどから火勢は土蔵の間を縫い短時間で南町・本町・多賀町・江戸町・上松江町・連雀町・鍛治町・相生町・志義町・久保町・鉄砲町・北久保町・南久保町・東明寺相生町・高澤町・猪鼻町に拡がり計17町を焼失。翌18日8時に鎮火した。
当時の町域の3分の1に相当する1,302戸を焼失。中心部である本町・南町・多賀町・上松江町・連雀町は全焼地区となった。主な建造物では時の鐘・第八十五国立銀行・川越電信局・蓮馨寺など3寺院を焼失している。一方で小仙波村や喜多町にまで類焼したが風向きから数戸の焼失で済んでいる。当地は埼玉県で最も栄華を誇った商人の街でもあるが、火の回りが速く家財道具を持ち出せず全財産を失った者も出た。
火除稲荷神社の不思議体験について


私は川越に行った時、蔵の街、菓子屋横丁、喜多院などを主に歩きます。
道中で火除稲荷神社のほか、雪塚稲荷神社、川越熊野神社、出世稲荷神社などがあるのですが、いつものルーティンで参拝をしていた時のことです。
火除稲荷神社のお社の前で二礼をして、頭を上げた時、私は狐の顔(面)を見ました。さらに、その後ろには赤い炎がメラメラと燃えているのです。まるで映画に出てくるCGの炎のようでした。昼間の参拝なのに、その周辺だけは夜のように暗かったことも覚えています。
私が見たのは、火事の時の光景か、戦争の時の光景か、ただひとつわかるのは、「火除」に纏わる何かということです。
怖いという感覚は一切せず、それ以降も火除稲荷神社は私の心の拠り所になっています。ご興味がある方は川越散策とあわせて訪ねてみてください。
東武東上線川越駅、西武新宿線本川越駅、どちらからでも徒歩で向かうことができます。
住所:350-0066 埼玉県川越市連雀町22-19

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